この戦いはブログに残す

読みに行きますよ、必ず

優しくするのは簡単だという話

「いつも2時間昼寝するんだ。1時から4時まで」ーヨギ・ベラ

観測できたのは2時間だけのようだ

あなたって優しいのね、ふふ。

 

 

他に褒めるところがないからって「優しそ~」とか言うのは止めろ。

 

ちょくちょく「優しいね」とか「良い人だね」という評価を受けるんですが

優しくするというのは争い事に極力巻き込まれない手段だし

どこで植え付けられたのか、そういう倫理観に基づいてやっているだけなので

善意というよりはどちらかという義務に感じている部分が強い

 

人に優しくするというのは自分が楽なだけだ

 

助けるほうが多数派であるはずだという考えの元話しますが

程度の差は考えないが、目の前で誰かが困ってたら普通助けるだろう

 

それが友人知人、あるいはこっそり憧れていた人とかならば余計にね

助けずにそのまま見過ごせば恐らく違う誰かが手を差し伸べてくれるだろうし

もしかしたら見えないところで既に誰かが手を差し伸べているかもしれない

けど

もしかしたら誰も見ていないかもしれない

と一度思ってしまうと

なんとなく後ろ髪を引かれるような思いをしてしまうから声をかける

 

これは善意ではなく義務感や自分の納得のためで

決して心根が優しいからではない。

 

傍から見たら「いやいや同じでしょ」と思うかもしれないが

僕の中では明確に違う。

うまく表現ができないが、受動的なのだ

 

優しい人は能動的で、多分本心で助けたくてやっている

 

僕も助けたいとは思うが、なにか出来る能力があるわけではないし

最後まで責任を100%負えるのかというと疑問符がつく

中途半端に

自分の一時的な感情に任せて最後まで握っているかもわからない手を出しだすのだ

 

一応付け加えておくが

助けたいという思いが嘘なわけではないし、そのときに掛ける言葉にも嘘は無い

でもそれは傲慢な考えで、深く困っている人間をそう簡単に救えるわけもない

そんな誰でも知ってることをわかった上で感情に任せて行動している

相手のことを対して理解もしていないのにだ

これが優しいというのはちょっと違うのではないかと思う

(優しいという評価ありがたいが、受け取るのは難しい)

というか実際かなりクズだと思います(自己評価)

 

ここでタイトルに繋がってきますが

人に優しく(表面上)するのはとても簡単なんですよ

自分の感情に任せてそれっぽく振る舞えば優しく見えるんだから

 

人助けの話に絞って語りましたけど、普段からの人当たりだとかもそうですね

優しくしてれば争いごとは大抵回避できますし

「あらあの人いい人ね」なんつってそこそこの評価も得られます

簡単なんですよ、コミュニケーションの方法として染み付いてますからね。

 

優しくするのは楽だ。

 

特にネット上なんて顔見えませんし

文字でのやり取りなんていくらでも本性隠せますからね。

僕は結構うまいことやってるとおもいます、良い人そうに見えるでしょ?

そんなことない? どう?

 

ともかく、優しくするというのは簡単なんです

普段から優しくて良い人そうに見えるあの人ももしかしたらそうかもしれませんね。

 

僕は僕の考える真の意味で優しい人間にはなれないと思いますので

僕はクズですよって話ですね。

 

貴方もこの街のやさしさに甘えていたくはないでしょう?