この戦いはブログに残す

読みに行きますよ、必ず

恥を捨てろ

過去は振り返らない、進めべきは未来だけだ。

過去を省みる時間はあってもいいよね。

自分語りブログ

 

 

もうこんなのね、個人情報の漏洩だよ。

 

ネガティブになるためにこの記事を綴っているのではないと最初に言っておく。

自分は過去に何もこなしていない、語るべき過去もない

語った所でただ恥ずかしいだけの人生だと思っていました。

いました、というのは正確ではないが、とにかく

ふいに思い立って過去を少し綴ることにした、よかったら一杯付き合っていきな。

 

 

幼きころの回想

 

順序だって話そうと思うが、正直過去のことどこまで覚えてます?

僕は多分、他のことへ関心を持つということが希薄だったのか

過去のこと殆ど覚えてないんですよね

覚えてなさすぎて、覚えている記憶さえも捏造ではないか?

と疑う時があります、多分捏造じゃないと信じて話していきますね。

特に脈略無く覚えていることの羅列になる。

 

覚えている記憶は幼稚園児の折に何故か自転車屋になりたいと思っていたことだ。

何故なら自転車は便利だから(最強)

多分将来の夢、みたいな答えにそう返していた気がする。

あとは母親がやたらに厳しく、育児のストレスも手伝ってか

いつも激高してた覚えがある、大変だったんだろうな。

僕は末っ子なので甘やかされ、というか多分俺に関心がなかったように思う。

 

この頃から絵を描くという事に激しい抵抗を抱いていて

というか多分自分の作品を公開する行為が駄目だったように思う

でも目立ちたがりだったと思うし、友達は多かったし活発だったと思う

覚えているのはお絵かきの時間に嫌すぎて嘔吐したことだ

今思うと多分かなりの内弁慶だったのではないかな~と。

 

あと僕は覚えていないんですが、異性がいつも周りに複数人いたらしい

でも僕の記憶では異性と遊んだ覚えってないんですよね

でも親兄弟に話を聞くと、大体異性の子といたよ、という話が出てくる。

僕はたまに異性に憧れみたいなのを抱く時があるのですが

もしかしたらこのときからそうだったのかもしれない。

 

あと話しの起点は忘れましたが、友達とのごっこ遊びの時に

「ダメージ0なんてないだろー、当たってないってことだよ」

と言われて

いやいやお前当たった結果ダメージがないんだからダメージ0は存在するだろ!!!

と激しく憤りを感じたのを思い出したので共有しておきます。

 

小学校に行く頃には水泳の習い事をしたりして、かなり楽しんでいたのではないだろうか。

そういえばバタフライが出来なくて(昇級テストみたいなので失敗した)

悔しくて泣いた覚えがありますね、多分泣き虫だったと思います。

あとやはり失敗するということに恐怖というか、そういうのは感じていたと思います。

小学校ではドッヂボールが盛んで、米井くんの弾はくそ速かったです。

 

転換期は小2か小3で訪れた(どっち?)

紫斑病という難病を患った(画像検索はやめたほうがいいぞ)

親が病院を総当りして最後にたどり着いたでかい病院に

たまたまその日いた、たまたまその病気をしっていた先生が、たまたま診察

してくれたことにより(翌日だと不在だった)、即日入院することに。

入院期間は覚えてないがでも三ヶ月くらいじゃない?

この頃からゲームが好きだった俺は入院をいいことにゲームばっかりやってた

でもその内容は覚えていない、あと薬の副作用で四六時中寝てた。

当然体力は落ちるし、ステロイドの服用でぶくぶく太る

退院後、自分の体力の無さに愕然とし

恥をかきたくないという思いもあいまり

外で遊ぶことが嫌いになりほとんどやめてしまった。

 

そして小3が終わり小4になった時、家庭の事情により転校を余儀なくされた

同県内でも中心部から北部の田舎への移動となった

今でも思うのがこの転校や入院がなければ

今に自分は大きく違っていたのではないと思う、がそれは置いておこう。

 

この転校を機に家庭は大きく荒れる

激しく荒れたのは兄で暴力的になり

兄は僕を縛り付け、パシリのように扱い、気に入らなければ殴る、恫喝する

僕の自信のなさとか卑屈さはこの人のせいなんじゃないかと

思ってしまうくらいには嫌な体験だった。

家族はなんでやり返さないの? みたいな反応ばかりだが

痛いのが嫌いだし、なにより絶対的な上である兄という存在の恐怖

やり返すと激しくなるってわかりきっていたし

僕が出来るのは耐えることのにみだったように思う

このときから家族は誰も味方では無いんだなという思いが強くなる

今もそう思っている。

 

母も母でストレスを抱え体調を崩すし

あともうまじで田舎やばい、何がやばいってやばい

田舎というと主語がでかすぎるが、少なくともこの地はやばい

もうこの人達頭おかしいんだろうなって人が多い

そしてそれが当たり前のように許容されているの。

オエッ

 

時は流れ中学・高校

 

別になにもないよ、中学の頃は卓球部で

適当に過ごし、ゲームをし(64のスマブラは友達とやりまくった)

性格はこのときが一番最悪だったと思う

過去に戻って矯正できるならここでやりたいね

自己中心的で思い通りにいかないと態度に表しふてくされ怒っていた

精神年齢の成長が実年齢より遅れているのはこの頃からだと思う

中学生時代の最大の失敗をひとつあげるなら

将来のことなんて何一つ想像せずすごしていた

これに尽きると思う、高校進学? よくわからない……

そんなレベルだった

とりあえず親に金銭的な迷惑をかけるのだけはやめようと思い公立を選択。

工業高校だったが別に科はなんでもよかったので土木科を選択した

わかる人にはわかると思うが、土木科はまじで頭が悪い

頭が悪くても入れるのだ、ありがとう。

 

余談だが田舎は私立より公立のほうが偏差値が高い、ということがままある

流石に特進とかだと話は別だが、基本は公立、滑り止めで私立

という構図が一般的だ。

 

高校時代は入院時代に培いそのままキープしていた体重を活かし

柔道部へ、親がやっていたことと、自己紹介の時に顧問に誘われたことがきっかけ

この頃から少し外交的になった気がする

柔道という競技自体はものすごく楽しかった

後悔を語るならば、後悔がないほどに一生懸命に取り組まなかったことだ

結果、最後の試合で、一番悔しい負け方をしてしまう

その試合内容は10年以上引きずって、夢にまで出てくるくらいだった。

試合後に顧問に「少し残念だ、まだいけると思っていた」

と声をかけられた時、初めて高校の部活動生活に激しい後悔を抱いた。

いつでもお前は遅いんだよな。

 

馬鹿は物を考えない、当然先の事も考えない

この時就職……? 進学……?

やりたいこともなく、目指すべきものがなかった

また関心を外に向けていなかった俺は、道がわからなかった

進学して高校生活の後悔を大学でやろうかとも考えたが

進学するなら柔道だけではなく勉学のことも考えろ

と諭されたので就職を選択した。

親からは「お前だけは大学にいってくれ」と過去に何度か言われていたが

再三いきませんよと、繰り返し伝えていたので反対はとくになかった。

 

またまた余談だが、当時、田舎は進学するほうが少数派だった

やりたいことがあるやつだけが進学する、という風潮。

 

とはいえどこに、どういった職種に就くかなど微塵も考えていない僕は迷っていた

見かねた顧問の先生がひとつ見繕ってくれて、そこへいくことに

結果は合格、こうして俺は社会人へとなった

 

社会人

最初の会社がもうやばかった

馬鹿だった俺は何も考えていなかったので

仕事をする、ということに関しても何も考えていなかった

漫然と過ごしていたら当然仕事は終わらない、終わらなければ時間を延長するしか無い

そう、それは楽しい楽しい残業の開幕だった

月に平均100時間くらいの残業を1年こなしていた、幸い土日は休みだったが

日付が変わる前に帰れたら今日は早いな、なんて同僚と言い合っていた

当然1年で辞めた、挫折。というか仕事が苦しいものだと初めてしった。

 

周りの人間が毎日何故時間通りに出勤できるのが本当にわからない

気が狂っているとしか思えない

 

と思いながら働いていた、まぁ僕も遅刻はしなかったが……

 

次の就職先は一番楽しかったな

MGS4の発売があり、MGO2をめちゃくちゃ満喫してた

当時に知り合ったVIPクランの奴らとは未だに連絡を取り合っている

 

故あって(会社がどえれーCoolな状態になった)

転職を余儀なくされしばらくNEEEEEEEEEEEEETを満喫

 

エルソードとの出会いも多分この頃

ヘルルトにこもり秘密装備を売り、氷を溶かしゴミを入手していた

ここの連中とも未だに連絡を取り合っている

エルソードにハマりすぎて、このままじゃやべぇとなったので

頑張って就活

定期更新ゲームとの出会いもこの頃だった、初参加は精霊伝説

次いで一揆ファンタジータワムレガキと続いていく

会社も転々。

 

MGO・エルソード・定期更新ゲーム

これらはただの娯楽だが、確実に僕の人生を大きく変え、豊かにしてくれた。

 

この頃からTwitterをふるに活用していたので、世界の広さを知り

俺ってまじでなんにもねぇなぁ、俺がいる意味あんのか?

という思いが強くなっていく。

そもそもにしてやることがはっきりして、先に進んでいく人間(リアルの友人)

迷いなく仕事に集中している人間と自分を比較してしまい

劣等感とは常にお友達だった。

何をしたって上には上がいるし、俺の真剣はその人達の真剣からすればお遊びだ

という思いを抱えて生きていくことになる。

でもそれでも日々の楽しみがあれば生きていけるし、割と楽しめたよ

ネガティブな人間なんていっぱいいるし

俺が別にそうであったって何も問題ないだろうと。

お前は能力がある、と励ましてくれた人々の声を無視して生きていた

ということには気づかないまま過ごしていた。

いや本当は気付いていたし知っていたが、取り合わなかっただけだ。

 

今現在

 

なにもない自分を、そのままでいいや。と心の底から思っていたわけではない

だから何か技術として一つ欲しくて、絵を描くことを選択した

絵をかければ定期更新ゲーで使えるし

周りの人にも何かを提供できると考え、持っていると便利な技術として選んだ。

ところがこのお絵かきってやつとんでもなく果てしないコンテンツで終わりがないと来た

絶対選択ミスってるだろくそっ!!!

 

ネガティブは抱えるとして、それでも変えたくて絵をやろうと初めたが

結局、絵が描けねぇくそ! 俺が描いても意味ないだろ!

という思いを消せはしなかった。

幸いなことに今尚継続している、多分糞だと思っても捨てきれなかった

それと継続しないと意味がないということもわかっていたからだと思う。

 

ネガティブ表現は自己防衛ではなく近くにいてくれる他者への攻撃である

 

という事に指摘を受け気付かされることになった

僕は僕が勝手に凹んでるんだから別に関係ないだろ

くらいには思っていたが

それは僕を心配したり声をかけてくれる人々を完全に無視をし

僕がネガティブならないように気を使わせてしまっている

という事を僕は知らなかった、あまりにも僕の精神が幼すぎた

それを実感する指摘だった。

 

その指摘を受けて、僕は過去を思いかえし

友人Tやイケメン、今近くに入れくれる人たちが

励ましや叱咤激励をくれていたこと、それが今になってようやく僕中に入ってきた

と同時に、申し訳なくて申し訳なくて

今この場を借りて御礼と謝罪をさせていただきたい。

今までごめんなさい、それからありがとうございます。

 

今ここで僕が宣言するのは、変にネガるのはもうやめる

俺はネガティブからの脱却をする

ということだ

自分の能力を考えるに、即座に明日から。というのは土台無理だろう

だが少なくとも

いちいちネガティブなことを表に出すことはしない

ことから始めようと思う

僕の将来の目標として娯楽を提供する側になりたいという思いもあり

まず自分が楽しめるようにする

ということをしていきたい。

 

なんにもねぇと思っていた過去の俺

その俺が形成し来てきた人間関係により

俺の駄目な部分を指摘してくれる、励ましてくれる友人に巡り会えた

ということを考えると

無駄な部分はあったかもしれないが、そんなに悪くないんじゃないか

と思えるようになった

 

僕は友人には物凄く恵まれている、運がいい

とは以前から思っていが

それを自分の人付き合いの能力だと置き換え

過去の後悔を幾許か淘汰することが出来た。

 

俺がやらないといけないのは自分に自信をつけること

自分が不安定であるがゆえに、マイナス方面へ振ってしまうのだ

不安を感じた時に受け入れる方法として、俺は駄目だ、ではなく

俺なら大丈夫だ! くらいにはなる。

他者は関係ない、俺がどうありたいかだ。

 

大事なのは今このブログを書いている時のような強い気持ちのときではなく

弱った時に拠り所として、自分がしっかりあるかどうかだ。

自分を見極め、自分を正しく評価するようになるぞ。

 

最後に

 

友人たちには改めて深い感謝を、ありがとうございます。

ネガティブな俺は昨日に置いてきた、会いたければ過去ログを読んでくれ。

俺は今頑張っていると思う。

自分の頑張りを認め、さらなる飛躍を俺の中でする。

よければ見ていきな、良いもん見せてやるよ。