この戦いはブログに残す

読みに行きますよ、必ず

生と死についての話リターンズ

「匿名の手紙には返事を出すな」ーヨギ・ベラ

為になる。

 

生と死

 

 

生とは何か?

 

生きてるって何でしょうね、それを実感するタイミングっていつだろう

生きる意味とは? 君はなぜ生きているんだい?

 

このテーマを頂いた時からたまに考えていたんですけど

生きるとは何かを単純に考えた時に

答えとしては生命が維持されていることだと思うんですよね。

 

生物としてこの世に産まれた以上、死に向かい活動したりしなかったりする訳ですけど

死を迎えてない以上は生きているということになるかなーと

生というのは基本的に生物として成立しているのならば誰しもが持っていて

それを奪う行為っていうのは忌避されるし、あるいは魅力的に見えるだろう

 

どんな聖者でもどんな悪党でもどんなクズでも生を保持していて

死ぬほど惨めでも自分の生きている意味がわからなくてもとりあえず生きていてもいい

というのが生なんじゃないでしょうか(適当)

 

そんな事はどうでもいい

そう、僕の人生で生きるとはなにかが重要だ

僕はここ数年「まじで俺なんもねぇな」と強く思うようになった。

特に何か努力をした覚えがないのに、何故か色々できる気になって自分は優秀だと思い込み

なんとなく生きてここまで来たら、まぁ世には凄い人ばかり

優秀どころか努力を知らないのでいつの間にか底辺でしたね。

 

そんな訳で明日俺が死んだって代わりに誰かが仕事をこなし

Twitterの更新が止まったところで誰も気にはしないだろう

自分は底辺で俺の存在は代替が効いて、なんなら上位互換が溢れている

そんな事無いと思ってくれる心優しい人(皮肉)もいるかもしれないが

僕を覚えていたってどうせ一ヶ月程度であとは時間と共に薄れていくだろう

薄情だと言うわけではなく、誰しもがそうだと思っている

刻一刻と時間の流れる生の中にある人間が時間が止まり死んでいった者たちを

常日頃から覚えているということはないだろう

そんなことしてたらお前の世界は止まってしまうぞ(悪いとは言えない)

 

「俺ってなんもねぇな」と思った時に、生というのが非常に苦痛に感じることがある

だからといって特に死ぬ必要はないし、まぁなんとなく生きている

けど生きてるってことは苦痛はついてまわるわけで

それらを解消するために他者に喜びを提供できる側にまわりたいと思った

上位互換の存在は、自分が世界のトップに立たない限り存在するので諦めるとして

自分の好きなことの中に「他者に喜んでもらう」というのが存在したので

じゃあなるべくそれが出来るようになろうと絵を描き始めたりした(唐突)

 

僕にとっての生は恐らく他者を喜ばし、それを眺めて満足を得ること

かなと思った、ここでいう他者とはその他大勢を指すのではなく

僕にとって価値ある人のことです

クズなので受動的で、自分にとって意味があると感じない限りは何もしないだろう

能動的に動くことがあればそれは余程感情が揺れ動いた時くらいだろう

 

まぁこの辺もなんか100%の答えがこれっていう訳ではない

なんとなくぼんやり、人生の目標みたいなものとして

何かを提供したいという感じかな

この辺がはっきりしている人は楽しそうね

 

でも多分もっと気楽だよ

何もしなくたって生きてていいんだから、こんな生きる意味とか考える必要ないんだよな

普通に日々楽しいこととかちょっと辛いことを経験して

人生の伴侶を見つけて、家庭を作り、孫に囲まれて……

普通に生きられる人は特に何も考えることなく普通に生きてるんでしょうね

だが俺はもう無理だ

異端だとは別に思わないが普通のレールから外れているだろうし

もうそちらには戻れないだろう、そう生きてしまったので

けど一人ではないし、それでも別に生きてていい

生きていられるというのはそれだけで尊いって先生が言ってた

死ぬが怖いって理由だけで生きてていい、理由なんてなくても生きててもいい

生というのはきっとかなり気楽だ、目の前にある苦難がそれを霞ませる

あるいはそれらが生の価値を高めているのかもしれない

そこまで追い詰められたことがない僕が言ってもなんともなぁって感じだけどね

 

死って怖くね?

生についてはまとまりなく終わったので死についてもまとまりなくまとめて終わります

 

死とは……まぁ生を失うことでしょうね

僕の場合、目標が達成できず何も提供できない人間になった時点で

それはもう死と同義だと思っていいでしょう

それでも生きている限りは死ではない、と考えてもいい

 

死ってなんか怖くね? 何者にもなれない恐怖とかもあるけど

そちらは置いておいて、生命を失うことに関しての死

 

苦痛なく死ねるならそれでもいいかなって前は思ってたけど

最近は恐怖が勝りつつある。

死んだ時点で恐らく何も感じることはないのだろうから

死自体を恐れる必要は特にない気がするのだけど……

 

本能的に死を恐れるのは正しいとは思うんだけど

なにか明確な理由がほしいよね

今、生に対して僅かばかりの目標があるから? とは思ったんだけど

別にな~これがそもそもうまくいくとは思ってないしな

 

死ではなく、死による自我の消失だろうか

あるいは死によって自分がどうなるのかがわからない

というのが恐怖を感じる一因かなー?

あまりはっきりしないな

 

死後自分はどうなるんでしょうね

無に包まれるのか? あるいは転生でもするのか?

あるいはあの世というものが存在するのか?

わからない

わからないということがそもそもにして怖い

不確定要素は恐ろしい

なんとなく自分が失われるということに恐怖する、というのはわかる

こればっかりは死を経験しないとわからないんだろうな

 

死に関してわからないことが多すぎてあまり多語れないな

浄土真宗なんかは南無阿弥陀仏と唱えることを修行として

お浄土へ行けるとかそんな内容だったと思うんですけど

お浄土は天国なんかとは違うんですよね確か

悟りをひらいたり神の教えだったりしても色々な考えがあるし

(この辺の知識は曖昧だから鵜呑みにしたらダメだぞ☆)

死なないと多分わからないんだよな

けどお前がいなくなったら寂しいからよ、俺の前で死なないでくれよな

 

あ、誰か死んだことのある人レビューお願いします。